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4月17日(水)M「ヘンリー四世」彩の国さいたま芸術劇場

演出/芸術監督:蜷川幸雄、作:W・シェイクスピア、翻訳:松岡和子、構成:河合祥一郎
 蜷川さんは狭心症で一ケ月入院していた、だが、この舞台は病み上がりとは到底思えない。河合祥一郎の手によって一部・二部を合体・構成した4時間20分の大作をみじろぎもさせず観てしまった。蜷川のパンフレットの言葉の抜粋ーこの作品は、シェイクスピアの作品のなかでも傑作だと思っています。ぼくのように1974年にミハイル・バフーチンの「フランソワ・ラブレーの作品と中世ルネッサンスの民衆文化」を読んで衝撃を受けた者にとって、この作品は聖典のような輝きをもって迫ってくるのです。価値の転倒、卑猥にして、猥雑な言葉の数々。・・・バフチーンの教えと結び付けられる戯曲を得たことの喜びこそ、今のぼくの生の喜びそのものです。-
 わたしは桜社時代から蜷川の舞台を観て来たが、蜷川シェイクスピアを含めて、今回の舞台は蜷川演劇の頂点的な成果だとおもう。ことさららしいことは一切ない、シェイクスピアの世界が自然に豊かに広がって、どの人物もそのありようで面白くちゃんと生きている。いままで蜷川シェイクスピアは三方を壁で囲んでいたが、この舞台は壁はない、舞台左右の献灯が連なる舞台に木場勝己のヘンリー四世が幕僚諸侯を引き連れて舞台奥から前面に現われる序幕から、その王が逝去する巨大なベッドまで、舞台は芝居の舞台というより世界そのものだ・・。客席を使う趣向も、ごく自然に客と溶け合ってたちどころに祝祭空間と化した・・。そして、この成果の主要因は、飲んだくれの騎士サー・ジョン・フォルスタッフを演じた吉田鋼太郎の存在だ。この飲み、打ち、買うの大ぼら吹きで、ハル王子を遊び仲間にしてしまう巨漢を、吉田は様々な身体的ハ-ドルをタイヘンでもタイヘンさを感じさせずに最初から最後まで、フォルスタッフのキャラクターの創造を守りきり、なにかたどりつけないような人間の願望を体現した人間像を舞台に打ち出したのだ。そうなると、他の数々の人物達も、木場勝己はもちろん、膨大なツケがたまっているのに、フォルスタッフの甘いことばに騙され続ける居酒屋のおかみの立石涼子、シェイクスピア・シアターで吉田と一緒だった間宮啓行の吉田との息の合い方とか、おかしくてしょうがないたかお鷹、口跡が立派な辻萬長、ハルの対抗馬のホトスパーを演じた星智也、そのほか脇の役者たちの活躍の盛り立てようが素晴らしいことに繋がってくる・。
そして、そういう役者たちに囲まれてもまれて演じた、初舞台の松坂桃李のハル王子が、これが素晴らしいのだ。いっときはフォルスタッフとその仲間たちと遊びほうけていたが、父王が死に、ヘンリー五世を継ぐと、国王の国務に自分を捧げ、昔の仲間を厳然と突き放す、その両面をきちんと輝かしく演じたのだ。この舞台は、シェイクスピアが提供した世界そのもの、フォルスタッフは人間の希望と絶望のアンビバレントな願望そのもの・・。失笑を覚悟していえば、シェイクスピアは人類の文化の最後の砦だと感じてしまったのは、老いのせいかな・・・。

by engekibukuro | 2013-04-18 10:11 | Comments(0)  

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