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8月11日(木)S月「頭痛肩こり樋口一葉」

作:井上ひさし、演出:栗山民也、こまつ座、シアタークリエ

 初演は1984年、今回で14回目の公演だ。じつに面白い、井上作品でも最上位に位する作品だ。そして、その初演で成仏できずに、お盆にかならず現れる、一葉にしか見えない、花蛍という名の幽霊を演じた新橋耐子の面白さが圧倒的で、この芝居を観る楽しみの中心だった。新橋は10回演じて、11回目は松竹の公演で、花蛍は池畑慎之介が演じた。これは観ていないが、次のこまつ座公演は、若林麻由美が演じて、今回も若林だ。若林の花蛍もなかなかのもので、芝居にいきいきした生彩を与え、永作博美の一葉、三田和代の母多喜とともに、芝居の中軸を担っていた。世間は因縁の無限連続で、そのなかで人間の洪幸、不幸が仕方なく起きてしまう。そんな人間の業の渦巻きの中で、一葉が最後の文語体の名作を書いた。これで、この芝居今度で何度目かはっきりしないが、最後に深谷美歩が演じる妹邦子を除いて、一葉も多喜も、愛華みれの稲葉鑛も、熊谷真美の中野八重もみな白装束の幽霊になるシーンが今回はじめてみたような気がした・・。そのくらい、新橋の花蛍の印象が強かったのだろうか・・・。
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by engekibukuro | 2016-08-12 09:28 | Comments(0)  

8月10日(水)津島佑子「あまりに野蛮な」

(上・下)講談社 文芸文庫s
 主人公は二人、一人は1930年代に台湾で暮らす、台北帝大でフランス社会学を講ずる助教授の妻ミーシャ、一人はそのミーシャの姪でたった一人の息子を小さいとき事故で亡くしたリーリー。ミーシャとは本名は美世だが、夫の知り合いのロシア人の老婆に呼ばれたニックネーム、リーリーは茉莉だが、なぜかリーリーという名で描かれる。1930年代に台湾で暮らすミーシャと、2005年に台湾に叔母のミーシャを偲び、亡くした息子の追憶を思いきりたく、台湾に旅して、戦前の日本占領下で暮らしい、日本語もわかる山奥の原住民を訪ねるリーリーの物語が交互に描かれてゆく。同じ台湾という舞台の時間を隔てた叔母と姪の物語の対比の鮮やかなこと!戦前のミーシャの夫の明彦への複雑な愛の形、それをとおして戦前日本の雰囲気、夫の専門とするフランス社会学のデュルケムの「自殺論」の話、その頃の台湾のでの日本人の暮らしがその空気まで感じられ、戦後生まれのリーリーの気持ちの動きは、なぜか台湾の奥へ奥へとすすんでゆくのだ・・・。79歳になって、津島の「黄金の夢の歌」や「ジャッカ・ドフニ」という傑作を読み、さらに今回の「あまりに野蛮な」を読むと、なぜ今まで読まなかったのかと思う。津島は2016年1月に亡くなっているのだ。まさしく津島の文学は、父太宰治と充分匹敵する日本文学の豊かさを感じさせるのだ。!
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by engekibukuro | 2016-08-11 10:07 | Comments(0)  

8月10日(水)津島佑子「あまりに野蛮な」

(上・下)講談社 文芸文庫s
 主人公は二人、一人は1930年代に台湾で暮らす、台北帝大でフランス社会学を講ずる助教授の妻ミーシャ、一人はそのミーシャの姪でたった一人の息子を小さいとき事故で亡くしたリーリー。ミーシャとは本名は美世だが、夫の知り合いのロシア人の老婆に呼ばれたニックネーム、リーリーは茉莉だが、なぜかリーリーという名で描かれる。1930年代に台湾で暮らすミーシャと、2005年に台湾に叔母のミーシャを偲び、亡くした息子の追憶を思いきりたく、台湾に旅して、戦前の日本占領下で暮らしい、日本語もわかる山奥の原住民を訪ねるリーリーの物語が交互に描かれてゆく。同じ台湾という舞台の時間を隔てた叔母と姪の物語の対比の鮮やかなこと!戦前のミーシャの夫の明彦への複雑な愛の形、それをとおして戦前日本の雰囲気、夫の専門とするフランス社会学のデュルケムの「自殺論」の話、その頃の台湾のでの日本人の暮らしがその空気まで感じられ、戦後生まれのリーリーの気持ちの動きは、なぜか台湾の奥へ奥へとすすんでゆくのだ・・・。79歳になって、津島の「黄金の夢の歌」や「ジャッカ・ドフニ」という傑作を読み、さらに今回の「あまりに野蛮な」を読むと、なぜ今まで読まなかったのかと思う。津島は2016年1月に亡くなっているのだ。まさしく津島の文学は、父太宰治と充分匹敵する日本文学の豊かさを感じさせるのだ。!
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by engekibukuro | 2016-08-11 10:07 | Comments(0)  

8月9日(火)「悲劇喜劇」9:追悼 蜷川幸雄

 カズオ・イシグロ、トム・ストッパード、安藤忠雄、田原総一朗の追悼文、横尾忠則の似顔絵、他演劇界多数の人々の文章が集められた。中では、いまではあまり注目されなくなったニンガワ・スタジオのことを書いた木俣冬「新たな表現を生んだニナガワ・スタジオ」が貴重な文章だと思う。演出穂を長い間務めた井上尊晶や、後年の蜷川の芝居の脇役として貢献した大石継太や岡田正、いま大活躍の松前重はこのスタジオの出身だ。また、蜷川がそこから出発した青年俳優クラブは新劇の劇団で、この青俳から、蜷川の芝居に最後まで出ていた市川夏江も思い出を書いている。蜷川は石橋蓮司や蟹江敬三と現代劇劇場を立ち上げ、アングラの唐十郎の芝居を上演し、そこから商業演劇へ行った。つまり、蜷川は戦後の新劇、アングラ、小劇場、商業演劇を最後には総合した演出家だったのだ。公演の蜷川の芝居に、文学座の横田栄司や原康久など、主役は若いスターだとしても、新劇のベテランを必ず出して脇を固めた。そのことをこの特集を読んでひしひし感じた。戦後日本演劇の、そういう観点からの演劇史を書くことが望まれるのだ。この特集には、いま上演中の「ビニールの城」の戯曲も掲載されている。
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by engekibukuro | 2016-08-10 10:34 | Comments(0)  

8月8日(月)join NO87

検証座談会「翻訳劇の現在」が面白かった。
 
 主席者は、伊藤大(演出家/青年座 フランス語)、小田島恒志(翻訳家 英語)、新野守弘(翻訳家 ドイツ語)、広田敦郎(翻訳家 英語)、洪明花(俳優、翻訳家 韓国語)、吉原豊司(翻訳家
 英語/カナダ演劇)、司会:みなもとごろう(演劇評論家)。
 出席者の専門のそれぞれの国の翻訳劇の現状を教えられて面白かった。原テキストを忠実に紹介する国、まったく翻案のネタにしてしまう国、さまざまなのだ。日本は、ほぼ忠実に紹介することを基礎にしている国だと・・。しかし、翻訳劇によっては、その国の特殊性が劇の中心になっている芝居は、その忠実さがネックになって、理解できなかったり、楽しめない場合も多い・・・。いろいろ考えさせる座談会だった。カナダでは、政府の外郭機関で翻訳家の養成コースがあるそうだ。
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by engekibukuro | 2016-08-09 06:52 | Comments(0)  

8月7日(日)「いつ死なせますか」石原慎太郎

「文学界」8月号
 久し振りに読みがいのある石原の小説を読んだ。石原らしい息もついかせぬ迫力満点の小説だった。主人公の中塚京子は才色兼備の高校生。家は金持ちだ。そんな彼女が風邪をこじらせる。「発熱してから五日が過ぎたが熱は下がらず体のためと思って母が勧めるまま無理して食べた夕食は彼女は夜中に吐いてしまった」。彼女はたちまち肺に異常をきたす。人工心肺を取り付けられ容体は安定するかに見える。両親は一安心。だが、その仕掛けは一時しのぎに過ぎなくて、下半身までは十分に血流が届かない。彼女に掛けられたシーツの下で足が壊死してゆく。両親は両足切断か死かの決断を迫られる。
 この小説を朝日新聞の文芸時評で片山杜秀は、中塚京子の死は現代の高度資本主義社会の似姿ではないかと問う。片山はヴォルフガング・シュトレークの「時間かせぎの資本主義」を引用、副題は「いつまで危機を先送りできるか」だ。「日米両国や欧州先進国は、高度成長に伴う豊かな税収を頼りに、弱肉強食の論理の生む貧富の差を抑えてきた。福祉という血流を社会の下層にまで届かせてきた。が、高度成長は続かなくなった。税収が伸びず、福祉は保てない。そこで国家は自らに人工心肺を取り付けた。際限なき国債発行だ。未来に借金を背負わせて当座をつなぐ。経済が底を割らないように人件費を削減して企業を保たせようと、国家間の経済格差を利用して当座は働く移民をいれたりがもする。でもそれで再び高度成長が始まるわけでもない。国家の借金は増える一方。延命治療は一時しのぎ。社会は下層から壊死しだす。事態の深刻さに世界は気付き始めている。イギリスのEU離脱も、アメリカ大統領選挙でのトランプやサンダースの旋風も気付きの表れだろう。石原の小説もきっとそうだ。彼はずっと死に敏感な作家だった。死を生の燃焼と一体のものとして熱烈に描いた。が、「いつ死なせますか」はそうではない。死はただ虚無的。中塚京子の腐りゆく下半身からやがて骨まで見えてくるだろう」。石原の中編小説から、ここまで解釈を深める片山の時評に驚くと同時に感銘を受けた。
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by engekibukuro | 2016-08-08 09:36 | Comments(0)  

8月6日(土)M「ビニールの城」作:唐十郎

演出:金守珍、監修:蜷川幸雄、シアターコクーン
 この芝居は、蜷川幸雄が演出することになっていたのが、蜷川の急逝によって、急きょ金守珍にゆだねられた。この「ビニールの城」は、唐十郎が石橋蓮司が主宰する第七病棟に書き下した作品だ。石橋は、廃館になっていたにていた浅草の映画館常盤座をまるごと改装してセットを作った。私も観たが、評判が評判を産んで、雑誌「FOCUS」による「批評家が選ぶ80年代演劇」のトップに輝いた。今回宮沢りえが演じたヒロイン・モモをそのときは緑魔子が演じて、その緑魔子の印象がいまでも胸に焼き付いている。今回の演出の金守珍は、蜷川スタジオ出身で、唐の状況劇場へ移り、そのあと自らの劇団新宿梁山泊を立ち上げた。蜷川の代打としては、まさにうってつけの人間で、さらに役者としても出演していて、それをサポートするのは、この舞台に出演している新宿梁山泊の盟友六平直政だ。金はアングラ演劇をしらない若い世代に向かって、この芝居をエンターテイメントととして見せると語り、唐のテキスト、蜷川の演出を熟知していることを生かし、唐の純粋な哀切感を蜷川の華麗な演出と合体させて見事なビニールのスペクタクルを舞台いっぱいに仕掛けた。男どもがひそかに見るビニールで閉じられたエロ雑誌のビニ本のヒロイン・モモが、それを演じる宮沢が、哀切感が華麗な男どもが仰ぎ見るような華麗な存在感を舞台にみなぎらせたのだ。両相手の朝顔を演じた森田剛、夕一の荒川良々もよく金の演出のテイストをつむぎだす演技で、それを金、六平らベテランがしっかり固めて唐・蜷川のかくもあるべきだと思われる舞台になった。それと、梁山泊の音楽家:大貫誉の作曲した音楽もこの舞台の成果におおいに貢献した。終演後、若い観客が、スタンデイングオベーションを自然にしていたのが、何よりだった。
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by engekibukuro | 2016-08-07 10:09 | Comments(0)  

8月6日(土)M「ビニールの城」作:唐十郎

演出:金守珍、監修:蜷川幸雄、シアターコクーン
 この芝居は、蜷川幸雄が演出することになっていたのが、蜷川の急逝によって、急きょ金守珍にゆだねられた。この「ビニールの城」は、唐十郎が石橋蓮司が主宰する第七病棟に書き下した作品だ。石橋は、廃館になっていたにていた浅草の映画館常盤座をまるごと改装してセットを作った。私も観たが、評判が評判を産んで、雑誌「FOCUS」による「批評家が選ぶ80年代演劇」のトップに輝いた。今回宮沢りえが演じたヒロイン・モモをそのときは緑魔子が演じて、その緑魔子の印象がいまでも胸に焼き付いている。今回の演出の金守珍は、蜷川スタジオ出身で、唐の状況劇場へ移り、そのあと自らの劇団新宿梁山泊を立ち上げた。蜷川の代打としては、まさにうってつけの人間で、さらに役者としても出演していて、それをサポートするのは、この舞台に出演している新宿梁山泊の盟友六平直政だ。金はアングラ演劇をしらない若い世代に向かって、この芝居をエンターテイメントととして見せると語り、唐のテキスト、蜷川の演出を熟知していることを生かし、唐の純粋な哀切感を蜷川の華麗な演出と合体させて見事なビニールのスペクタクルを舞台いっぱいに仕掛けた。男どもがひそかに見るビニールで閉じられたエロ雑誌のビニ本のヒロイン・モモが、それを演じる宮沢が、哀切感が華麗な男どもが仰ぎ見るような華麗な存在感を舞台にみなぎらせたのだ。両相手の朝顔を演じた森田剛、夕一の荒川良々もよく金の演出のテイストをつむぎだす演技で、それを金、六平らベテランがしっかり固めて唐・蜷川のかくもあるべきだと思われる舞台になった。それと、梁山泊の音楽家:大貫誉の作曲した音楽もこの舞台の成果におおいに貢献した。終演後、若い観客が、スタンデイングオベーションを自然にしていたのが、何よりだった。
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by engekibukuro | 2016-08-07 10:09 | Comments(0)  

8月5日(金)M「夏に死す」劇団桟敷童子

作:サジキドウジ、演出:東憲司、美術:塵芥、すみだパークスタジオ倉
 ”俺帰るわ、田舎に。・・・親父が生きてた。・・うん死んでなかった。親父、数年前から行方不明で・・・。親父の年齢?知らねえ、多分七十は過ぎてる。とっくに死んでると思ってた。もう呆けちまってたから。や、呆けてたふりをしてたのかもしれねえ。とにかく失踪した親父が、なんか、森にいるって。なんか面倒臭え。・・でも一応俺、長男だから、田舎に帰るわ。”
 もと中学校教師(山本亘)の東京で小劇場の役者をしている長男(稲葉能敬)が、行方不明だった認知症の父が、自然農園「Bee」で保護されているというしらせを報せを受け、九州の故郷に帰ってきた。故郷には妹が二人暮らしている。ここ「Bee」は、日本では珍しいニホンミツバチを飼っている。養蜂家の大部分は、明治時代に輸入されたセイヨウミツバツから蜜を採っている。この農園には父の教え子が働いていて、保護したのだが、父は家に帰るのを拒否して、結局この農園の世話になることになるのだが、この農園を舞台にして、父の子3人、農園で働く人々の生きざまがあぶりだされてくる。今までの桟敷童子の芝居の特性だった土俗臭を抜いた、劇団が”初の現代劇”と謳う、認知症の父親をめぐるアクチュアルな問題劇だ・・。それを野生で飼いにくいニホンミツバチの生態と類似させて独特のテイストを感じさせる芝居にしたのだ。一言もしゃべらない山本亘の存在感が際立っていて、携帯電話だけは鳴らせて、その携帯を鳴らして教え子の自死を救ったシーンが忘れがたい舞印象を残した・・・。
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by engekibukuro | 2016-08-06 10:20 | Comments(0)  

8月4日(木)M「フィルメーラ・マルトウラーノ

作:エドウアルド・デ・フイリッポ、翻訳:二宮大輔、演出:高橋正徳、青年座劇場

 ”本公演は、文化庁新進芸術家海外研修制度において海外で研修され、研鑽を積まれた演劇人の方々の成果を発表することを目的とする「次代の文化を創造する新進芸術家育成事業 日本の演劇人を育てプロジェクト」の一環として実施するものです」(文化庁)

 演出の高橋正徳は、平成23年度派遣(イタリア)、主役のフィルメーラ・マルトウラーノを演じた学座の山崎美貴は平成10年度派遣(イギリス・ロンドン)、相手の則ドメニコ・ソリアーノを演じたのは演劇集団円の井上倫宏は平成17年度派遣(イギリス)である。プロデューサーの青年座の森正敏は平成11年度派遣(スペイン)である。その他の俳優も各国へ派遣された面々だ。
 作者のエドウアルド・デ・フイリッポはナポリを愛し続けた劇作家にして喜劇俳優。日本での作品上演は珍しい・・・。それは、その芝居が、あまりにナポリという風土に根ざしているので翻訳するとそのテイストが薄くなってしまうからだと、紹介そのもは意義があったが、この舞台を観てそう感じた・・。
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by engekibukuro | 2016-08-05 06:51 | Comments(0)