6月18日((月)俳句を作る演劇人の会

於:神保町銀漢亭
今回はほぼ全員そろって盛会だった。今月の兼題は”さくらんぼ”と”蛍”
私の句は、★”さくらんぼ老いの舌には全人生”、★★”蛍火やここの世に独りと想う時”、★★★”老い先を蛍火静かに導きて”を採っていただいた★★★はお二方に、伊藤真紀さんには特選にしていただいた。披講後、東京工大の三上先生の(俳号:耕農)のフランス土産の白ワインがおいしかった。
「因幡屋通信 宮本起代子芝居噺」(年三回発行 2018年梅雨 55号)を宮本さんにいただいた。今号は野本萌葱主宰のーバラドックス定数ーの公演「731」(4月24日ー5月2日)の紹介だ。毎度ながら、綿密な取材と緻密な批評に感心する。今回の公演は「シアター風姿花伝プロミングカンパニーにこのバラドックス定数が選出され、来年三月まで七本の作品を同劇場で連続公演する第一弾だという。この悪名高い731部隊を取り上げたこの芝居、俳優の故・大杉漣が客席の最前列で身を乗り出し、「最高の集中力と最恐の表情で」舞台に見入り、終演後劇作家に「本当に、ものすごく面白かったんです。不親切で突き放してて・・ね・・絶対に続けてくださいね?このまま!」と語りかけたそうだ。連絡先inabay@leaf.ocn.ne.jp
・北斗賞・堀切句:”この風より寒に入りたるかもしれず”、”河豚食ふや官官接待ありし街”、”新札の顔に皺なき寒魚”・・・・・・・…・・・


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# by engekibukuro | 2018-06-19 10:43 | Comments(0)  

6月17日(日)S「日本文学盛衰史」青年団 

原作:高橋源一郎、作・演出:平田オリザ、吉祥寺シアター
”文学とは何か、人はなぜ文学を欲するのか、人には内面というものがあるらしい。そして、それは言葉によって表現できるものらしい。しかし、私たちは、まだその言葉を持っていない。この舞台はそのことに気がついてしまった明治の若者ったちの蒼い恍惚と苦悩を描く群像劇である。”一場:北村透谷葬儀、1894年(明治27年)5月、二場:正岡子規葬儀、1920年(明治35年)9月、三場:二葉亭四迷葬儀、1909年(明治42年)6月、四場:夏目漱石葬儀、1918年(大正5年)12月によって構成されている芝居。いずれも、通夜の宴席が舞台だ。全場同じ役で出演しているのは山内健司扮する森鴎外、大竹直噴する島崎藤村、島田曜蔵扮する田山花袋、この名作「蒲団」を書いた花袋は、ほとんど宴席の座布団にうっぷしている。そのほかさまざまなデフォルメがある。漱石は女優兵藤公美が演じているし、明治の芝居なのに現代語のツイッターとか、漱石の愛媛での話しで加計学園という台詞がでてくる。いわば、堂々たる悪ふざけによって描かれている芝居だとも言えて、それが堅苦しい日本文学史を解きほぐして、今の若者にも通ずる明治の文学者の生態をあからさまにして、明治の文学、文学者に親しみを持たせる効用があって、ラストシーンには平田の芝居には珍しい全員音楽にのって踊りまくるシーンで、まことにユニークで面白い舞台であった。この舞台を観た原作者の高橋は、パンフで明治の文学史に”「そこ」には、わたしが気がつかなかった、見過ごしていた、素晴らしい鉱脈が隠れていたのだ。書くべきことは、もっとずっとたくさんあったのだ。なんてことだろう。舞台版「日本文学盛衰史」をもとにして、新しく小説を書くとしたら、この場合、原作は平田オリザさんか?”と書いているのだ。
・北斗賞・堀切句:”啄めるものを御空へ初鴉”、”結び目の確とありけり猿廻し”、”買初の筆の尖りをほぎしけり”



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# by engekibukuro | 2018-06-18 07:30 | Comments(0)  

6月16日(土)

片山杜秀・島薗進の対談集「近代天皇論ー『神聖』か『象徴』か」再読した。
この本は平成二十八年八月八日の「象徴としてのお努めについての天皇陛下のおことば」を中心にした対談だ。片山の結語は、”戦後民主主義における象徴天皇についての「お言葉」ほど突き詰めて語られたものはほかに知りません。今上天皇ほど象徴天皇とは何かという戦後日本の根幹をまじめに考え抜かれた人はいないでしょう。それに比べればわれわれの思慮は足りていなかったのではないでしょうか。”さらに”丸山真男は「戦後お民主主義の虚妄に賭ける」と言いました。今上天皇の「お言葉」に深く説得された私としては、象徴天皇制の虚妄に賭けたいと考えます”。
・今晩我が家で下の孫の五歳の誕生日のお祝いをした。
北斗賞・堀切句:”門札のまず犬どうし吠えあヘリ”、”整ひてどこかをかしき福笑い”、”読初の童話の国の雪しずる"・・・・・・



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# by engekibukuro | 2018-06-17 07:53 | Comments(0)  

6月15日(金)

渡辺京二「原発とジャングル」読了。この渡辺さんについて瀬戸内寂聴が朝日新聞(6月14日)に書いている。”読み切れないほどの追討文を集めた特集記事の中で、最も見事で心打たれたものは、俳誌「藍生」の特集であった。中でも圧巻は渡辺京二氏の文章「カワイソウニ」である。渡辺さんは知る人ぞ知る、石牟礼さんの傍らにあり、五十年もの長い歳月を唯彼女ひとりに全面奉仕をしつづけ、原稿清書、雑務処理、掃除、片付けから食事の面倒までみつづけてきたという。しかもその半世紀の間、ちゃんと彼自身んの家族を養い、自分の本も書いている。「故人に捧げし一生という訳ではなかったのです」といいながら、亡き人の偉大な才能に感動しただけでなく、彼女の書くという仕事が人類に大変な使命をになった詩人だからこそ手伝ったとは言い切れないと述懐する。「私は故人のうちに、この世に生まれてイヤだ、さびしいとグズり泣きしている女の子、あまりに強烈な自我に恵まれたゆえに、常にまわりと葛藤せざるをえない女の子を認め、カワイソウニとずっと思っておりました。カワイソウニとおもえばこそ、庇ってあげたかったのでした」と述懐している。この国の昔の人の間には「カワイソウだた惚れたってことよ」とわかりり易い俗語がまかりと通っている。今、生きる目的を不意に奪われた渡辺さんは呆然としていると素直に述懐している。道子さんも稀なる大才だったが、渡辺さんも道子さんにおとらない大器の人物である”・・まったくそのとおりの人物である。

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# by engekibukuro | 2018-06-16 07:24 | Comments(0)  

6月14日(木)M「肉の海」おふいす3〇〇 四十周年念記念公演

原作:上田岳弘「塔と重力」、脚本・演出:渡辺えり、本多劇場
”どうせもうじき死ぬなら、その死がやってくるまでに、考え尽くそうと思った。死に向かって体が朽ち果てようとしても、考えることはできる。考えて、考え尽くしてやる。未来に起こる出来事も、今から起こり得る目を背けたくなる残虐なことも、この俺が今ここで、全部終わらせてやる。検討を加える余地など、髪の毛一本残さない。百年先のことだろうが、全部俺がこの場所で、一歩も動かず吸ってやる。”この上田の文章をモチーフに渡辺はエンドレスに近いイマジネーションで物語りを盛大な音楽劇に仕立てた。しかし、物語が膨らめが膨らむほど物語の芯が見えにくくなってくる・・。それを立て直おしたのだが、三田和代の演技だった。セーラー服を着た少女から老婆まで演じて、物語をまっとうに立ち上げることに貢献したのだ。
・北斗賞・堀切句:”教会の窓のひかりの煤払ふ”、”初夢の遠流の果ての目覚めかな”、”臨月の身のをさまらず初鏡”

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# by engekibukuro | 2018-06-15 07:30 | Comments(0)