人気ブログランキング | 話題のタグを見る

12月16日(日)M「泳ぐ機関車」劇団桟敷童子

作:サジキドウジ、演出:東憲司、すみだパークスタジオ。
 ・・・アリフレ炭鉱町ノ・・少年ノ物語・・。この物語のシリーズは第一作「泥花」、第二作「オバケの太陽」に続く第三作が、この「泳ぐ機関車」だ。「泥花」は落盤事故で閉山したヤマを追われた元炭鉱主の子供達(三姉弟)の話で、姉二人をもつ弟の視線から描いた国のエネルギー政策で、石炭から石油へ変換してゆくことからの犠牲になった炭鉱労働者たちの暮らし、労働争議など、筑豊の歴史が浮かび上がってくる芝居だ・・。筑豊まれだが、もう炭鉱をしらない世代の東が、父母、祖母から聞いた話をもとにした故郷への愛惜が、三作とも舞台を美術の塵芥が舞台一杯に飾る向日葵の花と一緒にみちみちた芝居だ。とくに弟が知り合ったボロをまとった真っ黒の浮浪児の出現がショッキングだった。炭鉱町にはどこでも親を事故で亡くした孤児がいるそうだが、この地の底から湧いてきたような少年は強烈な印象をもたらしたのだ。「オバケの太陽」は「泥花」の弟ハジメが大人になって、自閉症ぎみの孤児と出会う物語・・。この少年がハジメとの交流を糧にして、自分を開いていき、施設で生きてゆく覚悟をし、ハジメと別れるシーンは感動的だった。今回の作品も、小さな炭鉱を再興させたヤマ主の三姉弟の物語・・。弟は死産で母を喪った少年だ・・。この母の母、少年の祖母は町の売春宿などを営むやり手のごうつくばあさんで、この芝居では赤裸々に当時の金持ちと炭鉱夫
たちの格差が活写されている。ここでも落盤事故で父が自殺し、三姉弟が親戚を頼って町を離れるまでのお物語・・。ここでも弟が出会う”カミサマ”とよぶ、ボロボロのみなし児がでてくる・・。咲き誇る向日葵を背景に、少年はこれからの出発を誓う・・・。まことによく書けた作品だが、物語が定番化した印象がのこるが、東のこの炭鉱をめぐるこのシリーズは日本の戦後を見直させる代表的な三部作だとは確実にいえる・・。

# by engekibukuro | 2012-12-17 08:36 | Comments(0)  

12月15日(土)M「竹田恵子オペラひとりっ切りvol8&9」

 今回のレパートリーは宮沢賢治「水仙月の四日」、古典落語「芝浜」、そして小熊秀雄「めおとうし」(台本・作曲:高橋悠治、うた:竹田恵子、ピアノ:高橋悠治、ヴァイオリン:古澤巌、チェロ:大藤桂子、演出:恵川智美)、渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール。
 ”悠治さんの音楽は、私の慣れ親しんだ「物語る音楽」とは、まるで違った方向からやってくる・・”と竹田はパンフで書いている。真っ白なスーツ姿で登場する「水仙月の四日」、”ぱちっ、雪堂子(ゆきわらす)の革むちが鳴りました。狼(おいの)どもは一ぺんにはねあがりました。雪堂子は顔いろも蒼ざめ、唇も結ばれ、帽子も飛んで・・”この雪堂子のメルヘンは、いつもの竹田のうたののびやかさと少しちがうなとおもう・・”私は、悠治さんの音楽に向うとき、特に緊張していると思う”と書いていることが、その感じでちょっと戸惑う・・。が、「芝浜」の高座での語りとうたで、がらっととんでもないような別世界に連れていかれる・・。なにしろ、この落語の下座音曲(?)が、高橋のピアノ、古澤のヴァイオリン、大藤のチェロだから、刺身にバターを塗ったようなものだと思いこみがちだが、これはこれ、落語の日本的なアクを丁寧に取り払い、生活感を精選しつくした澄明な上澄みだけの落語だというべきか、それがこのクマさんとおかみさんのお馴染みの話も、そのかお互いの好き具合(夫婦愛かな)もとても気持ちよく伝わってきて、これは生きていたら談志も蒼ざめたかもしれない大傑作だろう・・・。そしてそれは「めおとうし」に繋がるのだ・・。これは仲の良いめおとうしが、トサツ場につれていかれ、最後は祭り太鼓の皮になり、それも破れてついに昇天するし物語りだが、それまでのいろんな詳細が語られ、めおとうしにとって、殺されるとか死ぬとかがどういうことかさっぱり解からない、その疑問がめおとうしの体に実際にはどんどん実現してしまうという、ブラックユーモアが充満した、人間もたじたじとなる話を、竹田が高橋のピアノ伴奏とともに語り、歌う・・。これも素晴らしレパートリーで、今回の「オペラひとりっ切り」は大成功だった・・。

# by engekibukuro | 2012-12-16 08:42 | Comments(0)  

12月15日(金)S「ハ-ベスト」世田谷パブリックシアター

作:リチャード・ビーン、翻訳:平川大作・小田島恒志、演出:森新太郎。
 イギリスで現在、高く評価され、人気も沸騰している劇作家リチャード・ビーンの日本演劇界への初登場。そしてこの日本での初登場の舞台は、翻訳者たちの熱意、まあに適格そのものの演技陣を、森が見事に統率、演出して森のキャリアの充実した加点だ・・。
 舞台はイギリス・ヨークシャーの農家ハリソン家・・。渡辺徹が演じる長男ウイリアムの110歳まで生きた年代記。芝居の構成は、1914、1934、1944、1958、1979、1995、2005年までの20世紀のそれぞれを画した年代での渦中でのハリソン家の出来事、それが遂に21世紀を越えて未完で芝居は終わって・・。ウイリアムは1914年、第一次大戦で出征して、負傷し両足を切断して以後車椅子生活だ。この出征をめぐって、弟のアルバート(平岳大)と争う、兄弟どちらが行くのかの争いで、当時は戦争は田舎ものの物見遊山の絶好の機会で、フランスに行って女のこと遊ぶ夢をみられるから、双方行きたくてしょうがないのだ、が結果両足が無くなった・・。そしてこの芝居の主軸は、ハリソン家が農家として立ち行くものとしての養豚業での成功のための数々の苦難をいかに乗り越えるかの課題への一家の挑戦、元の地主との確執、国の農業・酪農政策との葛藤とか、そういうものの重圧の中で、一家の細々した暮らしが、元は母(田根樂子)のそれからはアルバートの妻のモーデイ(七瀬なつみ)、さらに時代は下って、ドイツ人の俘虜でこの家出で働き出したステファンと結婚したウイリアムの姪のモーデイ(小島聖)の聖域のキッチンで繰り広げられ時代は推移してゆく・・、芝居の当初は、この芝居でイギリス人特有のマナーズ(風習・生態)からくる面白さ・ユーモアがちょっと馴染みにくいのだが、森の演出は、それら一切をじわじわ煮詰めていって、登場人物を明確にし、イギリス人の朝食にかかせないベーコンの元の豚について、その養豚業の変遷と時代とのかかわりを、ウイリアムの長い生涯を通して面白くみせてゆき、人間と社会の、時代と人間の生活の大きな広がりをヨークシャーの片田舎の農家の歴史から遠望した原テキストの価値とテイストを日本で舞台化してちゃんと面白く見せたのだ。19歳から110歳までを演じて舞台を締めた渡辺の演技は瞠目すべきもので、その他の円での森の演出作品「ガリレオ・ガリレイの生涯」でガリレオを演じ、この芝居では風変わりな地主を演じた吉見一豊や、前記のメンバーや石橋徹郎を含め皆それぞれの役を目一杯自分のものにして舞台を精彩陸離したものにした・・、そして最大に特筆すべき役者は、養豚専門職人を演じた有薗芳記、このエキセントリックな人物は有薗にうってつけで、久しぶりに有薗の才気あふれる本領を見せてもらい、長いつきあいだからこそだが、嬉しいかぎりだった。この有薗の演技をみるためだけでもこの芝居の価値はある・・、24日まで・・。
▲1月号の雑誌を図書館で、「新潮」の新進作家特集では、前田司郎、戌井昭人の小説を読む。ここでも戌井の小説の漂々たる癒しの力はぬきんでている。「文学界」の石原慎太郎の小説は、大昔の大学生のときの寮仲間との無銭旅行の思い出話で、この大変な時によく書けるなと、昔彼の小説は好きだったが、いまは存在そのものがうとましいのだが、さすがなのかな・・。

# by engekibukuro | 2012-12-15 11:12 | Comments(0)  

12月13日(木)M「祈りと怪物ーウイルヴィルの三姉妹ー」

 作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ、シアターコクーン。
 この上演はKERAversion、来年1月にこのテキストの蜷川ヴァージョンが上演される。
「もしも、ガルシア・マルケスが『カラマーゾフの兄弟』のような物語を、姉妹に置き換えて書いたら?」というのが、この作品へのケラの発想のきっかけだったそうだ。さらに、この作品はロバート・アルトマンの映画「ショートカッツ」の手法を使った・・。まったく無関係の人物や事件が、意外な展開で同じ流れにのみこまれてゆく手法、無理してエピソード間の人間関係を交差させない物語・・。この芝居の時期は、20世紀初頭なのか、ラジオはあるが、区分は判然としない・・。架空の国の架空の町ウイルヴィル、この町はさしずめガルシア・マルケス「百年の孤独」のマコンドだろうか・・。この町を支配するのは暴君ドン・ガラス(生瀬勝久)、このドンには長女バララ(久世星佳)、次女テン(緒川たまき)、三女マチケ(安陪なつみ)の三姉妹がいる。このドン・ガラスの広大な邸を中心の舞台に、ドン・ガラスと三姉妹にまつわる大勢の人物たちの群像劇だ・・。この邸のみならずウイルヴィルの民家や、周囲の自然はメルヘンタッチの美術で、全体の物語の感触、物語への参入の気分は、おとぎ話の世界へのものだ・・。この物語は4時間にわたる、この長時間、群像のどんな人物たちもゆるがせにしない個性を与え、事件を積み重ねて、少しもあきさせないケラのイマジネーションの豊かさ、物語作者としての腕は驚異的だといっていいくらいだ。ドン・ガラスの恐怖支配が崩壊してゆくプロセスが物語の主軸だが、マルケスのマジカルな世界は、現実の土地を特定していないが、明らかにラテン・アメリカの現実に根ざしてしいることを想起すると、このケラの物語の根ざしている現実はとも考えるが、これは蜷川ヴァージョンを観てからの楽しみにしよう。ケラの演出は自分の書いた物語があまりに壮大なので、自分でももてあましているような気味があるので、蜷川の視点でどこに物語の力点を置くのか期待と興味は大きい・・。

# by engekibukuro | 2012-12-14 07:30 | Comments(0)  

12月12日(水)S「ポリグラフ 嘘発見器」

構想・脚本:マリー・ブラッサール・ロベール・ルパージュ、翻訳:松岡和子、演出:吹越満、映像:ムーチョ・村松、東京芸術劇場シアターイースト。
 ルパージュの生まれ育った、活躍の根拠地カナダのフランス語圏ケベック・シテイでのお話。登場するのはまずは女優のルーシー(太田 緑 ロランス)、元々政治学を勉強していたが今はレストランのウエイターをしているフランソワ(森山開次)、デヴィッド(吹越満)は東ドイツから移住してきた犯罪学者。この3人の目に見えないような見えるような三角関係が、ルパージュ・マジックというべき映像のと実像の交差で不思議な世界を現出する。それにケベック・シテイには城壁があるそうで、この城壁と、デヴィッドが脱出してきた東ドイツのベルリンの壁の対比とか、カナダ・ケベックに留まらないヴィジョンも内包している。だが、話のポイントはルーシーが出演しているおぞましい殺人事件の映画が、現実に最近起こった事件で、それの容疑者がフランソワで彼をポリグラフにかけたのはデヴィッドだというねじれた関係・・。ポリグラフは真実を発見する決め手の道具か・・、この話を3人がほとんど分断された瞬時の連鎖で、行為の細部とそれの映像の拡大とを絡ませて魔術的に現出させた。ダンサー森山の身の軽さ、フランス人とのハーフのエキゾチシズム、気配がまったく感じられない(この劇場の芸術監督野田秀樹は、彼を”忍者のようだ”と指摘した)吹越のパフォーマンスで、なんだか現実と非元日の境界の不思議な世界をあち賢で出来たのだだった・・。
▲佐藤優「読書の技法」(東洋経済新報社)。”月平均300冊、多いときは500冊以上”読むという驚異を通り越した読書・・、これは趙スピードの趙速度の技術と熟読の鍛錬の指南書だ。この本が東洋経済誌に連載されたビジネスパーソン向きの読書術で、プルーストの小説を読むなどという世界とことなるので安心(?)した。ただ村上春樹の「1Q84」に出てくる、二つの月について、沖縄に例をとり、アメリカの言いなりの官僚の見る月と、基地に苦しむ沖縄の民衆の見る月は違う、月は二つあって、なんの不思議もないという解釈は面白かった・・。

# by engekibukuro | 2012-12-13 06:40 | Comments(0)