畑澤の昨年の「カミサマの恋」に引き続きの民藝への書き下ろし作品。これは珍しくも時代物で、政略結婚の網を日本中に張り巡らした徳川家康が、養女満天姫を一旦は芸州福島家の正之に嫁がせたが正之が獄死し、津軽藩に再嫁させる。満天姫には幼い頃から付き従っている女中頭松島がいて、この松島を奈良岡朋子が演じる。この松島が、今では有名な桜の名所になってい津軽弘前の桜を植えた発祥の人物らしい・・。満天姫が連れて行った福島正之との実子直秀が福島家の再興を企み、津軽藩を窮地にさせるのを阻むため、満天姫と松島は直秀を毒殺する・・。津軽では知られた話らしい。だが、この芝居観ていて余り手ごたえがない。私は高校演劇を除いて、畑澤の東京にきた芝居は殆ど観ているが、ことごとく凡作がなく、民藝の去年の「カミサマの恋」も大劇団への初の書き下ろしとして充分に見応えがある作品だった・・。だが、今回の芝居は畑澤らしいところが感じられないなんだかごく普通の書きっぷりの芝居で、三越劇所向きの芝居だということかしら・・。期待が大きすぎたのかなとも思うが、ただ、大滝秀治なきあと民藝を率いる奈良岡の女中頭の凛としたたたずまいには感服した。
★★作:エウリピデス、演出:蜷川幸雄、翻訳:山形治江、東京芸術劇場・テルアビブ市立カメリ・シアター国際協同制作、東京術劇場プレイハウス。4年越しの共同企画が困難をのり越えて実現した舞台だ。アラブ系、ユダヤ系、日本人の俳優たちが、それぞれアラビア語、ヘブライ語、日本語で演じるギリシャ悲劇。中心はトロイア戦争でギリシャに滅亡されたトロイア庵の王妃ヘカベ、このヘカベを演じる白石加代子が磐石の存在感で、アラブ系、ユダヤ系、日本人の15人のコロスを率いて舞台を支配した。戦争の惨禍を一身に背負わされる女たちの怨嗟の声を、客はまず日本語で聞き、それをヘブライ語、アラビア語できき増幅してゆく・・。それぞれの国・土地に暮らす俳優のアイデンテイテイに根ざした演技の差異が、遠く古代ギリシャの戦争の淵源まで届き、女たちの古代からの絶えることのない不幸を感じさせずにいない。この戦争が、神々のいたずらのような気まぐれで発祥し、絶世の美女ヘレネの争奪戦のような趣きが、現実の惨禍を招きよせるという人間の愚かさ、度し難さが伏在していて、一義的な反戦劇ではない。これは訳者山形治江の名著「ギルシャ劇大全」で、この劇が、単に戦争の悲惨さを訴えるだけの「反戦劇」ではなく「率直にいえば、反戦という大義名分をふりかざして被害者の不幸だけを演じてよしとする舞台は、じつのところ、本劇の本質を伝えていないのではないかと思うのである:と書いている。蜷川演出も、その複雑性を直視し、イスラエルとパレスチナの終わりが見えない敵対関係の緊張感の気配、現下の一発触発の情況、さらに大地震の恐怖の予兆など、今の人間世界をおおっている感触を色濃く描き出しながら、人間というものを根本から問いただす劇としてのギリシャ劇の本来の使命を果たしていた。蜷川も出てきたアk-テンコールは満場のスタンデイングオベレーションで迎えられた、困難を乗り越えた初日だった。
# by engekibukuro | 2012-12-12 11:15 | Comments(0)