唐さんが入院中で、舞台にはむろんでられないが、老若男女の客はいつもどうりテント一杯だ。ちかごろの唐組の芝居は、短時間のものが多くなったが、この芝居は2時間のきっちりした舞台で、唐さん不在の舞台を総力でもりあげる熱気が充満していた・・。ネズミ駆除の会社の消毒マン田口(稲荷卓央夫)は、会社をやめた先輩虹谷の借金を肩代わりして奮励努力しているが、金繰りの元は持っている物件の虹屋敷だと周囲に思わせて、自分も会社をやめて、出っ歯で長髪の失踪した虹谷に成りすます・・・。それを応援するのが、虹谷の妹の長いシッポをつけたレオタード姿のネズミのコンパニオンかおる(藤井由紀)、その奔走のあけくれにトリタテ連中や、久保井研が奮演する乙女チックバレエ団の先生ダンカン、安保条約を締結した戦後の妖怪岸信介が現われ、天麩羅を揚げるテンプル騎士団の面々が不意打ちし、風采堂々の女弁護士(赤松由実)が厳粛に顛末を仕切り、そうこうするうちに虹谷実は田口は不法自己破産の危ない橋を渡り、ついには額縁ショーのストリッパー・浅草ローズにいたりつき、夫婦約束をした虹谷とローズの”虹の婚約指輪”を見出し、隠し不動産の虹屋敷を幻視する、そしてローズの薔薇の紋章のシュミーズ一枚に押し寄せてくる過去の時間の渦に巻きこまれるのだった・・。そして、虹屋敷というのは実は、唐十郎の戦後の原風景浅草の花屋敷であり、舞台にそのその模型が輝くとき、この物語が、その花屋敷から逆算したものであったことが認知され、その瞬間に稲妻のようなリリシズムスの一閃が舞台を横切る・・・、久保井の渾身の演出による傑作だ、ひとつの唐十郎の決算報告か・・。
▲下嶋哲朗「非業の生者たち 集団自決 サイパンから満州へ」(岩波書店)を読む。沖縄のチビチリガマの調査取材を皮切りに、サイパン、グアム、テニアン、フイリッピン、そこから満州までのそこに住んだ在留民間日本人の集団自決を長年月にわたって取材、調査した書。その凄惨な事実は、日本人は厳粛に記憶にとどめておかなけらばならないが、著者の基本的な訴えは、自決、自己責任、自己決断とうのは明治の元勲山縣有朋が制定したさまざまな法規、教育、「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓が国民に内面化され洗脳されたものに過ぎないということ、それが美化されて、親がこを子が親を殺すような非人間的なことが起こったということ。軍部が「鬼畜米英」といって、捕まれば男は惨殺され、女は犯されるという恫喝宣伝は、自分たちが中国民衆に対してやってきたことを愚かしくも想定したものだった・・。438ページのこの渾身の書は非常に重いkものだ。なかでも強烈に印象に残るのは、集団自決のさいに歌われる「海ゆかば」、この歌を歌い聞くと、金縛りになって自決を促されると・・。恐ろしい歌なのだ・・・。
# by engekibukuro | 2012-10-27 10:41 | Comments(0)