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10月26日(金)S「虹屋敷」唐組、雑司が谷鬼子母神境内

作:唐十郎、演出:唐十郎+久保井研。
 唐さんが入院中で、舞台にはむろんでられないが、老若男女の客はいつもどうりテント一杯だ。ちかごろの唐組の芝居は、短時間のものが多くなったが、この芝居は2時間のきっちりした舞台で、唐さん不在の舞台を総力でもりあげる熱気が充満していた・・。ネズミ駆除の会社の消毒マン田口(稲荷卓央夫)は、会社をやめた先輩虹谷の借金を肩代わりして奮励努力しているが、金繰りの元は持っている物件の虹屋敷だと周囲に思わせて、自分も会社をやめて、出っ歯で長髪の失踪した虹谷に成りすます・・・。それを応援するのが、虹谷の妹の長いシッポをつけたレオタード姿のネズミのコンパニオンかおる(藤井由紀)、その奔走のあけくれにトリタテ連中や、久保井研が奮演する乙女チックバレエ団の先生ダンカン、安保条約を締結した戦後の妖怪岸信介が現われ、天麩羅を揚げるテンプル騎士団の面々が不意打ちし、風采堂々の女弁護士(赤松由実)が厳粛に顛末を仕切り、そうこうするうちに虹谷実は田口は不法自己破産の危ない橋を渡り、ついには額縁ショーのストリッパー・浅草ローズにいたりつき、夫婦約束をした虹谷とローズの”虹の婚約指輪”を見出し、隠し不動産の虹屋敷を幻視する、そしてローズの薔薇の紋章のシュミーズ一枚に押し寄せてくる過去の時間の渦に巻きこまれるのだった・・。そして、虹屋敷というのは実は、唐十郎の戦後の原風景浅草の花屋敷であり、舞台にそのその模型が輝くとき、この物語が、その花屋敷から逆算したものであったことが認知され、その瞬間に稲妻のようなリリシズムスの一閃が舞台を横切る・・・、久保井の渾身の演出による傑作だ、ひとつの唐十郎の決算報告か・・。
▲下嶋哲朗「非業の生者たち 集団自決 サイパンから満州へ」(岩波書店)を読む。沖縄のチビチリガマの調査取材を皮切りに、サイパン、グアム、テニアン、フイリッピン、そこから満州までのそこに住んだ在留民間日本人の集団自決を長年月にわたって取材、調査した書。その凄惨な事実は、日本人は厳粛に記憶にとどめておかなけらばならないが、著者の基本的な訴えは、自決、自己責任、自己決断とうのは明治の元勲山縣有朋が制定したさまざまな法規、教育、「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓が国民に内面化され洗脳されたものに過ぎないということ、それが美化されて、親がこを子が親を殺すような非人間的なことが起こったということ。軍部が「鬼畜米英」といって、捕まれば男は惨殺され、女は犯されるという恫喝宣伝は、自分たちが中国民衆に対してやってきたことを愚かしくも想定したものだった・・。438ページのこの渾身の書は非常に重いkものだ。なかでも強烈に印象に残るのは、集団自決のさいに歌われる「海ゆかば」、この歌を歌い聞くと、金縛りになって自決を促されると・・。恐ろしい歌なのだ・・・。

# by engekibukuro | 2012-10-27 10:41 | Comments(0)  

10月25日(木)M★東京芸術劇場W・S★★シアター711

★「トロイラスとクレシイダ」(原作:シェイクスピア、構成・演出:安田雅弘、山の手事情社)。
 山の手事情社も創立30年、池田成志や清水宏がこの劇団の主力俳優だったことを知っている人も少なくなった。しかし、変わることのなく前進する安田の前衛的、独創的で、しかも独善にならない演劇精神精は健在で、それに心服する意気のよい若い男女の俳優が揃っている・・。ルーマニアのシビウ演劇祭での安田の作品への高評価がそれを裏づけている。最近の山の手の芝居は、安田と劇団員が発明、研鑽した「ルパム」という独特の演技様式、身体をねじり、歪ませるパフォーマンスに依拠する作品を提出している・・。この作品も「ルパム」による舞台で、たった一人の美女の奪い合いでトロイとギリシアの長期にわたるうんざりするような戦争の最中での、両国の男女の複雑でからみあった人間模様、男女の愛欲の相関図が、多数男女ののパフォーマーの「ルパム」のねじれた身体の分離、合体の昂進が、舞台に異様なエネルギーを創出して、独特の舞台空間を創りあげた。「ルパム」は俳優の集中力を倍化するようだ・・。
★★「誰もいない国」(作:ハロルド・ピンター、翻訳:喜志哲雄、演出:吉岩正晴)、ハーフ・ムーン・カンパニー。このごろ、ピンターの芝居を観る楽しみは、舞台を観たあとで貴志哲雄先生の名著「劇作家ハロルド・ピンター」を読むことだ。難解だといわれる(先生は難解ではない、読む方、観る方の丁寧さと辛抱が足りないと書かれているのだが)ピンターの芝居を、その当該の芝居の解説、論考を読むと、疑問が氷解する(した気がする)だけではなく、ピンター理解をこえて演劇全般の理解が深まるのだ・・。この芝居が作品歴のなかでも高度の実験的作品で、曖昧さもきわめつけで、”わからない”という人が多い、特に人物の関係の色んな段階で文体を変えているというから、わたしがワカラナイのもまあ当然、先生は日本語でも文体を変えているそうだが、これはこちらはそうとは感じられなかったわけで・・。酒瓶が林立している棚が背景のお屋敷の居間が舞台、60代の男二人が強い酒を呑んでいる・・。二人は今日始めて知り合ったようだ(じつはこれも曖昧)、妙な会話の一段落したあと、若い男と40代の男、この二人は屋敷の主人のホームキーパーらしい。男4人の曖昧な関係、曖昧な会話で、ついてゆくのに難渋する・・、非常に知的な(?)長台詞と、乱暴、ワイセツな捨て台詞などの混合で・・。この芝居の初演が、ピーター・ホールが演出し、主役二人をラルフ・リチャードソンとジョン・ギールグッドという英国きっての名優が演じたというから、英国の演劇はすごい・・。この芝居では、屋敷の主人が俳優座の川口啓史、相手は若松武史、両者善戦していたが、川口がよくこの芝居のトーンを作っていたと思う、こういう芝居は新劇俳優にやや分があるか・・。また、この芝居はピンターが唯一同性愛を描いたものだというのもキャッチできない・・、ともかく喜志先生のこの芝居についての結語「『誰もいない国』の台詞は生気と躍動感にみちている。作品の曖昧さは、かえって読者や観客の関心をかきたてる。力業という言葉は、こういう作品のためにある」。まったくそのとおり、大いに関心をかきたてられたのだ・・。

# by engekibukuro | 2012-10-26 12:20 | Comments(0)  

10月24日(水)M「端敵(はがたき)★天下茶屋」扉座

脚本・演出:横内謙介、座・高円寺。
 端敵(はがたき)とは、歌舞伎の言葉で、脇の敵役という意味。真の敵役は大敵というそうだ。端敵すなわち小悪党、これを扉座の旧名・善人会議からの生え抜きで、いま「相棒」などで大ブレークしている六角精児が演じた・・。元映画のプロデューサーで、いまは生活破綻で尾は打ちからして、借金まみれの男で、この男がひょんな偶然で、以前いいときに仕事を一緒にした役者(岡森諦)に会う・・。この役者悪役専門で、もう悪役にいやけがさして悪役仲間と正義の味方の芝居を、悪役仲間と自主公演する準備中だった、悪い噂をしらないその役者は、制作をその男・白鳥忠に任せ、なけなしの準備金500万円を預けてしまう・・。その金は一晩で博打ですってしまう・・。ずるくてセコイ、こういう小悪党を演じるのは六角は天下一品・・。31年も六角と劇団でやってきた横内は、六角jを知りつくしている。さらにエンターテイメントの名手横内が、波乱万丈のストーリーを書いてあきさせない・・。ただ、いささか進みが定番気味なので、どうも別の感慨に気がそれる・・、この舞台は劇団はえぬきの役者は六角、岡森、それに中原三千代がでている。小劇団衝で有力俳優が持続して活躍している劇団も珍しいのではないか・・。とくにこの芝居で、裏社会に通じた女だてらの悪徳弁護士を演じた中原が、派手な桃色の着物をきて、終始ニタニタ笑っているのが、小柄だからなさら不気味で、面白さが際立っていた・・。善人会議の旗揚げの芝居だと思うが、記憶が不確かだが六角が放火魔ツトム君を演じ、ガールフレンドの中原と自分が放火した火事を眺めているシーンをおもいだした・・。またまた、古いはなしだが・・。

# by engekibukuro | 2012-10-25 11:02 | Comments(0)  

10月23日(水)S「三人姉妹」吉祥寺シアター

原作:アントン・チェーホフ、作・演出:平田オリザ、テクニカルアドバイサー:石黒浩、青年団+大阪大学ロボット演劇プロジェクト。
 昨日は、正統派「三人姉妹」、今晩はアンドロイドとロボットが出演する「三人姉妹」、チェーホフも自分の時代の100数10年後に、まさかアンドロイドがイリーナを演じるとは夢にも思わなかっただろう、この三女は死んでいるという設定で、その身代わりにアンドロイドが作られた・・・。大阪大学の平田教授は、ロボット工学の第一人者石黒教授にロボットの振る舞いに演劇的アドヴァイスを加えて、その効果でロボットの一種の怖さが消えて、より人間に親しみやすくなり、そういうロボット誕生で特許をとり、世界中で大評判だと平田はアフタートークで語った。
さて、この芝居の三人姉妹のなき父親は、将軍ではなくロボット工学の大権威であった。登場するのは、三女イリーナにあたる娘をアンドロイド「ジェミノイドF」、この家の家事全般を引き受けるロボット「ロボビーR3」、ほかは山内健司以下9人の生身の青年団の俳優、長女は先生、次女は主婦、このマーシャマーシャにあたる主婦の夫も教師だが、この先生は原作のクルイギンと同じで周囲から全く浮いている男だが、原作とちがうのは不倫は主婦でなく、夫のほうらしい・・。アンデレイは兄ではなく、弟でひきこもりだ・・。まあ原作にそれほどついた翻案でではなく、芝居の主軸は教授の優秀な弟子が、シンガポールへ赴任する送別会での平田劇の定番、居間のお茶を飲むテーブルを囲んでの出来事、送別会のメインデイシュはロボットが調理する鯖の料理・・・。教授の他の弟子夫婦がきて、女性の弟子と弟のセクハラ騒ぎがあったりするが、登場人物たちの過去のあれこれの悪い出来事をアンドロイドがの次々言い放つ、それで座が大乱れになって・・。そして、この芝居のテーマともいうべきもの、実はこの死んだはずの三女が実は家にひきこもって生きていたのだ。同時両者がでてきて生身とアンドロイドの言動とか記憶の異同が試される・・。こらへんが工学的課題でもあるのだろうか・・。いずれにしろ世界で初めての平田にしかできない芝居である、この芝居もロボット・アンドロイド・人間三者の実験劇、興味深いが過度期の演劇だろう、今後を注目したい・・。
・アフタートークの平田さの話では、例えば子供を亡くした夫婦が生前のビデオなどの資料から、亡くした子供そっくりのアンドロイドができるそうだ。それには1200万円かかるのだが、作りたい方は私のほうへとの話だ・・・。

# by engekibukuro | 2012-10-24 10:29 | Comments(0)  

10月22日(月)M★「ルーマーズ」S★★「三人姉妹」

★作:ニール・サイモン、訳:黒田絵美子、演出:高橋昌也、ル テアトル銀座。
 ル テアトル銀座は2013年5月末に閉館する。黒柳徹子海外コメデイシリーズもこの第26弾でこの劇場では終わる。ル テアトル銀座の旧名は銀座セゾン劇場。堤清二代表が率いるセゾンセゾングループの文化戦略を体現するセゾン系の劇場として開館した。2000年にセゾングループが解体して、その経営は東京テアトルに移管され、パルコが運営する「ル テアトル銀座by PARCO」に改称された。銀座セゾン劇場の初期には海外有名劇場・劇団の招聘公演だった。第一回公演はピター・ブルック演出の「カルメンの悲劇」、それから9時間かかる大作「マハーバーラダ」はじめブルック演出の舞台を何本も観た。それにレニングラード・マールイ劇場の「兄弟姉妹」など一連のロシアの芝居、日本でもセゾン劇場と山本安英の会が提携した木下順二の「子午線の祭り」など思い出せばきりがないほど数々の名舞台を観てきたのだった。この黒柳徹子のシリーズの第一作は89年のピーター・シェーファー作、飯沢匡演出の「レテイスとラベッジ」、ル テアトルに変わってからも2012年までとぎれず続いたのだ。中でも96年に読売演劇大賞の大賞と最優秀女優賞を受けた「マスター・クラス」と「幸せの背くらべ」の2作のうち、マリア・カラスを見事に演じた「マスラー・クラス」が忘れがたい舞台だった。この「ルーマーズ」でも早口で多量な台詞を喋る弁護士役での元気な姿は健在で、結婚20周年記念の夫婦のパ-テイでの友人たちトンチンカンな大騒ぎの喜劇を盛り立てていた。ただ、アメリカの生活や風俗に密着した喜劇は笑いが一拍そく届くようなのは仕方がないか・・。このシリーズは別の劇場で継続するそうだから、それを期待しよう。
★★作:アントン・パ-ヴロヴィチ・チェーホフ、台本・演出:佐久間崇、演劇集団円、ステージ円。とてもいい舞台だった。ことさらな解釈も改変も無い、セットも担当表示がないほどの簡素な舞台で、テキストにあたうかぎり沿った演技の真実感だけを追った舞台で、上演頻度が高いこの名作を洗い直して真髄にせまったものだった。これも演劇集団円の俳優層の厚さがあってこそだったと思う。それぞれの役のイメージはもう大概の客は既成のものを持っている芝居で、オーリガ、マーシャ、イリーナの三人姉妹も、そのほかのアンドレイもナターシャもクルイギンもヴェルシーニンもソリョーヌイもみなお馴染みなのだ。その役を俳優個人々の個性で類型を脱して活かし、舞台で面白く生動する人物たちに仕立て上げた・・。ヴェルシーニンの井上倫宏、クルイギンの宋英徳、アンドレイの大竹周作とか挙げてゆけば皆で、それぞれ生きていて、そのアンサンブルが、この芝居の人間たちの現在の我々にも通ずる多分どうにもならない不幸や孤独、仕方ない愛の空回りをつくづく体感させるのだ。唯一、幸せになったのは、年老いてナターシャに苛められ、それが校長になったオーリガの校長の寄宿舎に引き取られて生まれて初めて自分の部屋を与えられた婆やのアンフイーサで、客もほんとにほっとするのだ。この役を演じるのが往年のスター女優柳川慶子、なんとも年月を感じさせとても懐かしく、良い感じだった・・。終幕の姉妹の”楽隊が去ってゆく”シーンも詠嘆場にならず、”わたしたちは何のために生きているのか、それがわかったら・・・”、この台詞が普通に考えなけらばならない問いとして迫ってきたのが、この舞台の成果の証しだろう・・。モスクワにな永遠に戻れない、ゆけないのだ・・。

# by engekibukuro | 2012-10-23 11:59 | Comments(0)